れた毎日に変わった

疲れる毎日。
暑い季節はそれだけで負荷がかかる。
日本に住んでいたら宿命か。

さて。
ポスティングされていたミニチラシを孫が持ってきた加拿大移民新政策
毎日を楽しく過ごす極意、良いことが書かれていた。
写真に撮って、データ?キープしたわたしは、なかなかのものだと感激した。
まるで宗教への誘(いざな)いだ、と感心していたら、なんてことはなく、宗教だった。
あのチラシの文章の次には、どんな宗教が来ても、どんな会社案内が来ても、どんな倶楽部案内が来ても、どんな商品が来てもいけそうだった。
プレゼンの資料として保存しておくと使い道があるかも知れない。

その宗教をググッてみると、新興宗教だった。
ちなみに、わたしは、宗教は毛嫌いしている。
大学をはじめ、政党まで持っている宗教もある。
絶大な力。

次女にミニチラシを見せたら、街を歩いていると、宗教の勧誘らしきものを何度か受けたことがあるという。
いつもは、「急いでいるので」と立ち止まらず無視するかっこうだそうだ九龍區牙醫
だが、ある日、20歳ぐらいの純粋な感じの女の子が、ベテラン会員さんといっしょに勧誘活動をしていて、ちょっと話を聞いてみようかという気になったらしい。
聞けば、田舎から出てきて知り合いもなく寂しい状況だったところをその宗教に誘われて入ったら、寂しさも飛び、満たされた毎日に変わったとか。
その話を聞いた次女は、「その20歳ぐらいの女の子の母親に知らせてあげようかと思った」と言う。
まだ社会経験も浅いのに、都会で変な宗教に片足突っ込んでますよーー、と何も知らない親に注意を促す、、、。
本人に警笛を鳴らす以前に、親に知らせたいという次女だが、次女はすでに社会経験を少々積んで保護者の心境か。

一方で、親が信じる宗教に子供を巻き込むのはいかがなるものか。
洗脳に他ならないが、家庭内のことには外からは介入出来ない。
子供が成長して自分で考える力をつける前に、強制的にパワハラで子供を洗脳するなんてことは、自立を阻む。
良い教えだけを抜粋して正しい道徳心を植え付けるのなら悪くないが、行き過ぎ、エスカレートする危険性がある。
学校の倫理の授業のようなら良いが。

宗教には共通する教えはある。
だが、相容れないものもある。
偶像崇拝か、禁止か。正反対。
歴史的に重みのある日本古来の仏教も、日本でアレンジされたとしても、インドから始まり中国などの大陸経由で大筋やって来たのではないかと、うすぼんやりおおまかに想像している。

ある新興宗教の信者さんが不治の病にかかった。
枕元にはズラリとその宗教関係者が病人を囲んでお祈りする。
結局、その人はしばらくして亡くなった。
その様子を見ていた友人の人はつぶやいた。
「なんの力にも役にも立ってない」と。

しかし、本人にしてみれば、こころが救われたかも知れない中學收生
周りから見ると、ばかばかしいとしても。
どんな悲惨な悲劇のどん底にいても、宗教が自分を救ってくれるなら、立派なものだ。

「あなたは、神の元に召されます」
そんな教えがある宗教があるとしたら、喜んで神の元に召されるのかも知れないが、悪用されると大問題、社会問題だ。
国ごと、一丸となって突き進んでいた時代もあった。
深刻である。


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